宇都宮木鶏クラブ
令和7年9月 宇都宮木鶏クラブ 読後感想発表
特集 「人生は挑戦なり」
駒ヶ嶺 智広
巻頭の言葉「仏道の為には命を惜しむことなかれ、亦惜しまざることなかれ」」
【青山俊董(愛知専門尼僧堂堂頭)】
不惜身命である為には生命を惜しめ(惜身命)と書かれていました。
学んできた事を実践するだけではなく、それを人に伝えるには時間がかかるから「命を粗末にしてはいけない」ということだと感じました。
P10 特集「人生は挑戦なり」
2本足で歩き始めた時から人類は様々な挑戦を試みて今の世界を創ったと書かれていました。
気になったのが言葉をいつ覚えたのかという事です。前回の致知に「5万年前にホモ・サピエンスがアフリカからヨーロッパに進出し、ネアンデルタール人など他の人類種を滅ぼしてきた」という説が書いてありました。言葉を覚えた事で「私が」という主語と「どこへ」という目的語が生まれたそうです。そうなると単純に「襲われた」ではなく「敵だ」と言葉で限定するようになる。言葉が生まれる以前は、「私」も「あなた」も「差別」もない、ただ一つの繋がりあった世界だったとすると、人類は科学の進歩以上に、東洋思想でいう、己と向き合うための修養が必要だったのではないかと考えさせられました。
P12 挑戦で切り開いてきた人生と経営
【対談: 金子和斗志、唐池恒二】
日本を代表する企業を創ったお二人の挑戦について書いてありました。
唐池さんの「夢が叶うということは夢が夢でなくなること」という話はその通りだと思いました。目標を達成した後の社員のモチベーションを維持するためには新しい目標や夢が必要だと気付かされました。
私も仕事やイベントで毎年同じ事をやっていると慣れてしまって挑戦する気持ちが薄れているなと感じています。常に挑戦し続ける気持ちがないと、サービスも停滞していきますし、協力してくれるパートナーやクライアントも離れていってしまうと思います。今までのやり方に拘らず、新たな目標を持つために、時代に合わせて形を変えていく勇気も必要だと感じました。
P22 かくして我が郷土を輝かせてきた——ここにしかない宝を磨き抜く
【対談: 畦地履正、森本健次】
畦地会長と森本社長の対談を読んで、挑戦する事を諦めず発信し続ける事が人を動かす原動力になると感じました。
森本社長が農家の人から言われた「役場にいたら三年もしたら移動やろ」という言葉を受けて、その人と争うのではなく、自分と向き合い自分の覚悟を変えていく事で「おまえがやるんやったら協力するよ」と周りの農家さんが変わっていった。覚悟がない人を人は信用しない、逆に困難な状況でも最後まで責任を果たそうとする人には共感し協力してくれるんだなと思いました。
P32 長嶋茂雄 その努力と挑戦の人生
【小俣 進】
長嶋茂雄さんの選手時代、監督時代、そして脳梗塞後の闘病生活にどう向き合って来たか書かれていました。
私は選手というより、監督というイメージしかなくて致知で読むまでよくわかっていませんでした。
今回、致知を読んで長嶋茂雄さんという人は野球だけでなく、その姿勢や考え方がすごく素直な人だと感じました。野球で言えば変化球が来たとしても素直に変化の軌道に合わせてバットを出すような選手だったのではないかと思います。
P36 奇跡の人 ヘレン・ケラーの生涯が教えるもの
【福島 智】
「目も見えない」「耳も聞こえない」「言葉も話せない」というヘレン・ケラーの壮絶な人生を同じ全盲ろう者として福島さんが、どう学ばれたのか実体験を踏まえて書かれていました。
「人生、挑戦とは一人だけで頑張って成果を得ることではなく、常に有形・無形の他者の手助けと共にある」と言う文章が心に残りました。
大切なもの「形のないもの、目に見えないもの」を想像する心だと思います。相手の立場を想像し思いやる心。心が繋がっていなければ、誰か一人の力で挑戦する事などできない。
「目も見えない」「耳も聞こえない」「言葉も話せない」からこそ、健聴者が忘れてしまいがちな本当に大切なものがしっかり見えているのだと感じました。
P42 「あそび」の力で未来価値を創造する
【徳本 達郎】
徳本社長の祖父であり創業者である徳本達雄さんはお寺に生まれた事もあり経営者というより社会事業家として側面が強かったそうです。
幼稚園経営から保育教材事業へと経営を拡大していく中、空襲で全てを失って大変な状況にあったにもかかわらず、困窮者や障害者を支援する施設をスタートさせ社会的な問題を解決する社会事業を再建させた。徳本社長はこの創業者のDNAを大事にしていて、従来のやり方に固執せず新しいことに挑戦し、環境が変わる前に自らが変わっていく事が、経営において何よりも大切な事だと語っていました。
P46 努力前進——〝神の手〟を持つ男・ 福島孝徳医師に学んだこと
【根本 暁央】
挑戦するには努力の積み重ねだと語られていました。
福島孝徳先生が亡くなられてからも教わった事を実践し挑戦し続けているそうです。
とくに「怖くてもちょっとずつ、ちょっとずつ努力を積み重ねればやれる。逆に言えば、こうすればできるという確信がないと挑戦はできない。挑戦するには積み重ねが絶対に必要です。」
という部分が印象に残りました。
商品開発のように「失敗」を前提としたプロトタイプ開発は、患者さんの安全を考えれば出来ないと思います。まして患者さんを前に失敗できないプレッシャーは想像も出来ません。安全を最優先するためのシミュレーションや臨床試験など想像を超える努力の積み重ねがあるから、今も挑戦し続ける事が出来るのだと思いました。
P55 健康長寿への挑戦 ~脳はいくつになっても成長できる~
【対談: 築山 節、西 剛志】
西先生は難病を通じて自分の言葉から受ける影響がストレスを与えることに気づかれたそうです。
更に人にはタイプがあり自分のタイプを理解した上で努力する事が重要だとも書かれていました。
次に、「健康長寿に挑戦しよう」というテーマで話されていました。「どうしたら高齢でもボケずに、元気に生きていけるのか?」築山さんと、西さんの専門的知見を交えて対談されていました。
【健康と脳】
・健康でなければ脳は働かない。
健康のためには運動する(一日8千歩 一週間で合計56,000歩)
・脳に刺激を与えるため、職場と自宅の往復でなく色々な場所行く(認知症リスクも下がる)
・食事(とくに朝食)が大事(体内時計を整える。塩分を取ることで熱中症対策。生活リズムの安定)
うどん・蕎麦を食べる時には副菜も食べる
・若づくりして脳を若がえらせる
・たまに電車やバスなのどの公共機関を利用する
・テレビや新聞などで新しい情報を仕入れる
・スーパーに行く時身だしなみに気を付ける
【認知症と脳】
・運動と睡眠が大事(昼間活動することで夜は眠れる)
とくに昼間30分の昼寝をすると認知症リスクが50%下がる(心筋梗塞のリスクも下がる)
・仕事は辞めずに現役を続ける。出かける(会話する)
孤独にならず生きがいを持って生活できる
P65 どん底から2つの世界一へ その出逢いと挑戦の軌跡
【対談: 武居由樹、大橋秀行】
大橋ボクシングジムといえば井上 尚弥が有名ですが大橋会長の対談相手が武井さんと言う事で
井上尚弥の話が聞けると思っていたので少し意外でした。しかし、読んでいくと武井さんの印象からは全く想像できない子供の頃の過去が書かれていました。
母親から育児放棄されて食事を与えられず、仕方なくコンビニのおにぎりを盗んで食べて逮捕されてしまったこと。虐待を受けて家出していた武井さんを古川会長が探して一緒に住まわせてくれたこと。格闘技は高校生まで嫌々やりたくない状態でやっていたこと。
どれも、インタビュー等で丁寧に話している武居さんの印象からは想像出来ない過去でした。
虐待を受けていた子供がどうして素直に成長しチャンピオンになるまでに至ったのか、そこには古川会長との出会いがとても大きかったと思います。
あきらめず真剣に向き合ってくれる大人がいたから、進む道が見えるまで頑張れた。その後、世界チャンピオンを目指す武居さんが、K-1世界チャンピオンになった時、インタビューで虐待を受けていた母親に対して感謝の言葉を伝えたという話がとても印象に残りました。産んでくれただけで感謝だと。
普通に考えたら恨んでもおかしくないと思います。それを感謝できるか、感謝できたとしても、それを言葉として伝える事が出来るか、難しいと思います。
武居さんの感謝の器の大きさを感じたエピソードでした。
もう一つ感動したのが、プロボクサーになる時に生命保険に入らないといけなくて、受取人の欄に「古川誠一」続柄「父」と書いたそうです。血縁とか関係なく父親以上の存在だと本気で思っていないと、これは書けないなと思いました。
P94 過ぎたるは、猶及ばざるが如し
【五木 寛之】
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」当時の日本人には四書の中の言葉が血肉のように体にしみこんでいた。
という話が印象に残りました。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、中庸が大切である」
この考え方が出来るから、日本人は昔から挨拶するように「おかげ様」「お互い様」という感謝の言葉を使ってきたのだと思います。
社会全体の繋がりを重視し、長期的な視点でお互い努力し助け合うという、文化的な考え方がなければ生まれない言葉です。
現代の「恩送り」や「ペイ・フォワード」という言葉とは少し違うような気がします。
まして、よく使われるギブアンドテイクという言葉は、より直接的な関係性で、お互いに利益を享受することを目的としているので、認識のズレで自分が優位に立つことを意識してしまいます。
人間は他人のやったことに対して厳しくなりがちで余裕がなくなると、自分の利益だけを考えてしまう。今、世界では、この感情の行き違いで争いが起っているように感じます。
森信三先生がおっしゃった
「2025年になったら、日本は再び立ち上がるだろう。 2050年には、列国は日本の底力を認めざるを得なくなるだろう」
という言葉の意味は、思想そのものにあるのではないかと思いました。
P100 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり
【工藤 勇一】
日本の学校教育には自分の頭で考え判断し、行動する教育が必要だと書かれていました。
そのために、「こどもの主体性」を引き出すため仕組みやルールを学生に任せたそうです。
初めは何をやってもうまくいかなかった。
では、どうしたか?
ただ辛抱強くグッと堪え続ける。
この「堪え続ける」というのがすごいなと思いました。
放置しているわけではなく、子供たちの事を真剣に考えた上で堪え続ける。
「子供達を本気で信じきる」覚悟がなければ出来ないなと思いました。
P108 孝子の深愛有る者は必ず和気有り ――『礼記』
※礼記とは周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を戴聖が編纂したもの。全四十九篇。唐代以降、五経の一つとして尊重された。四書のうちの『大学』と『中庸』はもともと本書の一篇である。
【田口 佳史】
「孝子の深愛有る者は必ず和気有り」の孝子とは親孝行の人かと思いましたが逆もあると感じました。
孝経の「孝」を「徳の至り」と捉えるならば親子に限らず人の道だと思います。
人には至徳要道(徳の至り)という道があり「孝」と捉える
「孝」という「徳の至り」が働いて人の心に通じる
「孝」は「愛と敬」から成り立っている
「父が愛情」を「子が敬う心」を互いに思いやる心を大切にする仁徳の道だと思いました。
最後に「敬天愛人」という言葉が出てきますが「敬天愛人」とは「天を敬い、人を愛する」という西郷隆盛の言葉です。生前、稲盛和夫先生の執務室に「敬天愛人」と言う書が「座右の銘」として飾ってあったそうです。
他者を思いやる「利他の心」で徳の実践を積んでおられたのだと思います。
「至徳要道(徳の至り)」=「孝(愛・敬)」 ⇨ 孝経
・西郷隆盛 ⇨ 「天を敬い、人を愛する」
・稲盛和夫 ⇨ 「利他の心」
P116 生死事大
【横田 南嶺】
時間がいかに貴重であるかを認識すること、今を大切に生きること、そして、生死の問題を解決するためには考え方が重要だということが書かれていました。
朝比奈老師の仏心のお話の中で
「意識そのものには実体はなく、その意識のつきたところに、永遠に変わらない、始めもなく終わりもなく、つねに浄らかに、つねに安らかに、つねに静かな光明にみたされている仏心があるということ」
という円相の話がありましたが、これを読んで青山老師が言っていた「無始無終の円」の話を思い出しました。
円には始まりと終わりがあるように見えて、実際には始まりも終わりも存在しない。今という瞬間が、過去の集大成であると同時に、未来への出発点でもある。円とは永遠の命の象徴である。
永遠とは松原泰道先生の言う「死ぬとは何億年も続いているリレーのバトンをつなぐこと」
それは恩の遡源でもあり、出会いという縁によって「思いを伝えていくこと」だと感じました。
先人と繋がる永遠に終わることのない円の中で「今ここを生きる」ということだと思いました。
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